ヘパリン置換に対する従来の考え方
ヘパリンは、外科手術や抜歯の際に抗凝固療法を行う際に使用されることが多い。しかし、ヘパリン置換によって血栓症を予防できるという明確なエビデンスは乏しい。現在までの臨床研究や試験では、抗凝固療法や抗血栓療法におけるヘパリン置換が有効であることを証明したものはほとんどない。
一方で、従来の臨床現場では慣習的に行われており、個々の症例に応じた適用が続けられている。術前・術後の出血リスクや患者の状態を総合的に判断し、ヘパリンの使用を決定することが多い。
第2章: ガイドラインによるヘパリン置換の手順
「循環器病の診断と治療に関するガイドライン(2012年度合同研究班報告)」によると、ヘパリン置換の標準的な手順は次のように示されている。
- ワルファリンは術前3~5日前に中止し、半減期の短いヘパリンに切り替える。
- ダビガトラン、リバーロキサバン、アピキサバンなどの他の抗凝固薬も、それぞれの投与中止期間を設けた上でヘパリンに変更する。
- ヘパリンは1万~2.5万単位を静注もしくは皮下注で投与し、リスクの高い症例では活性化部分トロンボ時間(APTT)を1.5~2.5倍に延長するように投与量を調整する。
- 手術直前にヘパリンを中止し、必要に応じて硫酸プロタミンで中和する。
- 術後は可能な限り早くヘパリンを再開し、ワルファリン療法に戻す。
この手順は、「クラスIIa」というエビデンスレベルに位置づけられている。すなわち、エビデンスは不十分であるが、専門家の意見が一致している方法であるとされる。
ヘパリン投与の具体的なプロトコルについても重要である。以下は未分化ヘパリンの投与プロトコルの一例である。
ヘパリン投与プロトコール
初期投与: ボーラスとして、1kgあたり80Uのヘパリンを静注し、18U/kg/hrで持続投与を開始。
APTTの測定: ヘパリン投与前および6時間ごとにAPTTを測定し、以下の基準に従って調整。
- APTT < 35秒: 80U/kgのボーラス追加、持続投与量を4U増量。
- APTT 35~45秒: 40U/kgのボーラス追加、持続投与量を2U増量。
- APTT 46~70秒: 変更なし。
- APTT 71~90秒: 2U/kg/hr減量。
- APTT > 90秒: 1時間中止し、3U/kg/hr減量して再開。
ヘパリンの具体的な調整方法を示すことで、手術時や抜歯時の抗凝固療法がより安全に行える
第3章: ヘパリン置換の是非とエビデンス
ヘパリン置換の必要性については、近年の研究から異なる見解が浮上してきている。特に注目されるのは「BRIDGE試験」である。この試験は、心房細動患者に対してワルファリンを中止し、ヘパリンの代わりにダルテパリンでのブリッジ療法を行ったものである。しかし、この試験の結果に基づき、すべての症例でヘパリン置換が不要だという結論を出すには慎重であるべきだ。
BRIDGE試験は、特定の心房細動患者に限定されており、またダルテパリンという日本では一般的でない薬剤を使用しているため、実臨床での適用には限界がある。さらに、この試験では新規経口抗凝固薬(DOAC)に対するヘパリン置換の有効性を十分に検証していない。
第4章: 抗血小板療法とヘパリンの併用
心血管疾患の治療において、抗血小板療法は欠かせない。特に冠動脈ステント留置後の治療には、アスピリンやチエノピリジン製剤などを併用するDAPT(Dual Antiplatelet Therapy)が必要である。DAPTの期間は、薬剤溶出型ステント(DES)であれば12か月、従来型ステント(BMS)であれば1か月程度が推奨されている。
手術時には、抗血小板薬の継続と中止の判断が出血リスクに直結する。抗血小板薬の中止が必要な場合でも、アスピリンは可能な限り継続し、チエノピリジン製剤は術後速やかに再開するべきとされる。また、ヘパリンを投与することも考慮されるが、ステント血栓症予防の明確なエビデンスはまだ存在しない。
第5章: 抜歯や小手術時のヘパリン置換の必要性
ワルファリンや抗血小板薬を服用している患者に対して、抜歯や小手術を行う際には、そのまま薬を継続するか、ヘパリン置換を行うかが議論の対象となる。ガイドラインでは、以下のように推奨されている:
- 抜歯時には、ワルファリンや抗血小板薬を継続したまま行うことが「クラスIIa」として推奨されている。
- 消化管内視鏡時の抗凝固療法や抗血小板療法の継続も、低リスクの手技では推奨されている。
- 一方、大手術や高リスク手技では、ヘパリンへの置換が推奨されているが、エビデンスレベルは「C」と低い。
結論: ヘパリン置換の必要性は個々の症例による
ヘパリン置換の有効性に関するエビデンスは限られており、現時点では患者ごとのリスク評価が重要である。ガイドラインに従うだけでなく、最新の研究結果や個別の患者状況を考慮して判断することが求められる。ヘパリン置換が必要とされる場面は、依然として一部の症例に限られていると言えるだろう。
コメントを残す